2002.6.1
ムーディーズが日本国債の格付けを二段階引き下げたことで怒っている連中がいる。塩爺財務大臣は「(格付けは)民間会社が勝手にやっているだけで、だからといって政策の変更はしない」と「不快感」を露骨に示し開き直るし、経済界にもその妥当性を疑う声もある。新しい「A2」という格付けは先進国では最低であることはもちろん、チリ、ボツワナなどよりも低いと云うことで、さすがに誇りを傷つけられたらしく、マスコミ論調もそんな感じだ。日本は世界最大の貯蓄国で世界最大の債権国、経常収支黒字国なのに出稼ぎホステスの親元国やアフリカの最貧国よりランクが低いとはどうしたことだ、これはおかしいというわけ。でもちょっと待ってほしい。
繰り返すまでもないことだが、国債の格付けとは国の経済力の格付けではない。国債が間違いなく償還されるか、デフォルトの可能性があるかどうかという技術的な問題なのでである。現代日本のように、経済は一流でも政府と政治家が三流であれば、経済力が一流であるからこそ余計に(当てに出来る財源があるから余計に)「お上」が発行する約束手形は(国債)は踏み倒されるリスクがあるともいえるのである。
民間企業がビジネスする際に指標とするカントリーリスクのグレード評定にあたっては、その国の基礎的な経済力とともに、その国の政府の「借金はどうしても返す」という意志の強さの程度が重視される。70年代の中南米の経済危機では経済力よりむしろこれが問題となった。今の国債格付けにおいても同じことがいえる。日本政府に本気で借金を返す意志があるのかどうか、国民は確信が持てないのである。
何せ日本政府には数々の借金踏み倒しの前科がある。古くは鎌倉時代の徳政令。鎌倉幕府とご家人の莫大な借金はこれで帳消しにされた。江戸時代の大名も裕福な町人から借りるだけ借りて結局踏み倒した。江戸幕府は貨幣の金含有量を継続的に低下させることで己の借金を踏み倒した。明治政府も借金で戦争をして結局その借金をインフレで帳消しにした。第二次大戦後の預金封鎖やハイパーインフレによる借金の踏み倒し策も悲惨で記憶に新しい。戦時国債を無理矢理買わされた国民のお金は全て紙切れとなったのである。戦後のインフレとバブルも同じような性格がある。80年代のバブルで勝ち逃げをした連中は誰であるのか特定することは難しいが、一つだけ確実にいえることはバブルは日本政府に莫大な税収をもたらしたということ。それも現金でである。日本政府こそが真のバブルゲームの勝ち逃げ成功者、バブルの最大の受益者であった。
財務省は 今回の格下げは日本経済のファンダメンタルを反映していないと反論している。日本には膨大な個人金融資産があるとか、貯蓄投資バランスが巨額の黒字を示しているとか。でもこれは「政府の借金」を返すのに「民間のお金」を当てにしていることを改めて白状しているようなものではないのか。日本の個人金融資産を相続税で召し上げれば借金などすぐ返せると豪語した官僚がいたが、とんでもない話である。グローバル化の時代には国民の金融資産は国際的に移動が可能だ。資本が政府を選べる時代だ。民間は馬鹿政府の尻ぬぐいをするのにもう飽き飽きしている。
日本経済の歴史を少しでも勉強したものは、政府が日本の経済の潜在力が強いから国債の償還は大丈夫だと言うたびに、また日本伝統の「徳政令」か、或いはそのたぐいの国民収奪政策をやるつもりだなと警戒感を深めてしまうのである。今も昔も、日本の政府には「民のものは公のもの」という思いこみがある。いい加減に国民の財産を当てにするのはやめてほしい。日本政府の国債はやっぱりやばいと思う。